特別陳列「長浜城に初詣」
現在2階展示室では、お正月にあわせて特別陳列「長浜城に初詣」を開催しています。新年を祝う吉祥絵画や令和5年の干支「卯」にちなんだ資料を紹介します。
新しい年のはじまりにぜひ、長浜城で「初詣」をお楽しみください。 |
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1. |
山縣岐鳳 旭鶴図 江戸時代(後期) |
本館蔵 |
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2. |
山縣岐鳳(賛:富岡松牛) 初喫茶図 江戸時代(後期) |
個人蔵 |
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3. |
木奇峰 蓬莱群仙図 江戸時代(後期) |
本館蔵 |
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4. |
河島雪亭 唐子遊戯図 江戸時代(後期) |
本館蔵 |
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5. |
銘:臨川堂 月兎図鍔 江戸時代(後期) |
本館蔵 |
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6. |
沢宏靭 兎図 昭和30年~40年代 |
個人蔵 |
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など |
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▲1.山縣岐鳳「旭鶴図」 |
1.山縣岐鳳「旭鶴図」
江戸時代の湖北・長浜を代表する絵師・山縣岐鳳(やまがたぎほう・1776-1847)の作。身を寄せあう鶴の親子と頭上に煌めく旭日。長寿や繁栄を意味する吉祥画です。
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▲6.沢宏靭「兎図」 |
6.沢宏靭「兎図」
長浜出身の画家・さわこうじん沢宏靭(1905-1982)が描いた作品。白い花を咲かせるそらまめ蚕豆と1匹の黒兎。白と黒のコントラストが目を惹きます。
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特別陳列「後鳥羽神社所蔵品展」
「後鳥羽上皇潜幸(せんこう)伝説」が色濃く残る長浜市西黒田地域。現在、地元では、潜幸伝説の掘り起こしと地域内外への情報発信を目的に、「後鳥羽上皇潜幸伝説プロジェクト」事業が実施されています。 これに合わせ当館では、同地域に鎮座する後鳥羽神社(名越町)所蔵の古文書や書画類などの資料を紹介する「後鳥羽神社所蔵品展」を開催しています。 |
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Ⅰ後鳥羽神社創設の歴史 |
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1. |
社号「後鳥羽神社」 三条実美書 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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2. |
後鳥羽天皇御像新ニ神社御願書
明治7年(1874)12月25日 |
後鳥羽神社蔵 |
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3. |
神社建立御願書 明治12年(1879) 5 月14日 |
後鳥羽神社蔵 |
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4. |
正遷宮并各村立札御願書 明治13年(1880) 8 月30日 |
後鳥羽神社蔵 |
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5. |
久邇宮家奉書 明治13年(1880) 9 月27日 |
後鳥羽神社蔵 |
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6. |
神号「後鳥羽天皇」 有栖川宮幟仁親王書
明治14年(1881) 8 月12日 |
後鳥羽神社蔵 |
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7. |
後鳥羽神社境内全図 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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Ⅱ後鳥羽神社の名品 |
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8. |
七言二句 巌谷一六書 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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9. |
後鳥羽天皇和歌 三条実美書 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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10. |
夢告図 岡 吉胤筆 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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11. |
五言絶句 日下部鳴鶴書 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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12. |
和歌 中井 弘書 明治19年(1886) |
後鳥羽神社蔵 |
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13. |
書画帖 原在泉ほか 明治時代 |
後鳥羽神社蔵 |
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など |
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▲後鳥羽神社碑文 巖谷一六書 明治19年(1886) |
後鳥羽神社碑文 巖谷一六書 明治19年(1886)
後鳥羽上皇は、当地を訪れた際、名超寺の僧・禅行の依頼により、自らの姿を木像にし、残し置いたと伝わる。応永24年(1417)、村民はこの像を祀る後鳥羽殿を建立したが、江戸時代には荒廃。明治7年(1874)12月、上皇を祀る神社の創設を滋賀県に申請したが許可されず、再三の願書が出されたという。転機は、明治11年(1874)明治天皇の北陸巡幸の際、大津の行在所に上皇像を運び、天皇の叡覧を受けたことにある。これが契機となり、神社創設運動がさらに拡大し、明治12年県からの許可が下り、明治13年10月1日に正遷宮が行われた。
本資料は、今も後鳥羽神社の境内に建つ、上皇潜幸と神社創設の由緒を記した社碑の碑文原文である。内大臣・三条実美(さねとみ)が題字し、漢学者・川田剛(たけし)が撰文、近江出身の書家で内閣書記官も務めた巖谷修(号・一六)が墨書している。記念碑は明治33年(1900)に建立された。
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▲後鳥羽神社 |
▲神社碑 |
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▲神号「後鳥羽天皇」有栖川宮幟仁親王書 2幅 明治14年(1881)8月12日 |
神号「後鳥羽天皇」有栖川宮幟仁親王書 明治14年(1881)8月12日
後鳥羽上皇は、当地を密かに訪れた際、名超寺(みょうちょうじ・長浜市名越町)の僧・禅行(ぜんぎょう)の依頼により、自らの姿を木像にし、残し置いたと伝わる。応永24年(1417)、村民はこの上皇像を祀る後鳥羽殿を建立したが、江戸時代には荒廃してしまう。
やがて明治時代に入ると、名超寺に保管されていた上皇像を祀るため、新たに神社を建てようとする運動が村民の間でにわかに高まった。明治7年(1874)12月、神社創設を滋賀県に申請したが許可されず、以降、再三の願書が出された。
転機は、明治11年(1878)明治天皇の北陸巡幸(じゅんこう)の際、大津の行在所に上皇像を運び、天皇の「叡覧(えいらん)」を受けたことにある。これが契機となり、神社創設運動がさらに拡大し、明治12年、県から神社建設の許可が下り、明治13年10月1日に正遷宮が行われた。
本資料は、明治14年に当時の神道教導職総裁であった有栖川宮幟仁(たかひと)親王(1812~1886)から後鳥羽神社に下付された親王筆の「後鳥羽天皇」の神号。同社には有栖川宮家から贈られた「尊号授与書」も伝わる。幟仁親王は、四親王家の一つ有栖川宮家の第8世。有栖川宮家は、代々歌道・書道を能くし、特に書は「有栖川御流」として知られている。幟仁親王は明治天皇に書道を指南したほか、明治維新に際して「五箇条の御誓文」を揮毫(きごう)した。
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▲後鳥羽神社の社号標(揮毫は三条実美) |
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